しましま式瞑想!「無」になる必要はない!瞑想をしているときの精神状態を解説【最終関門】
どうも、しましまです。
前回までの記事で、瞑想前の下準備から実践するまでの方法を説明させていただきました。
瞑想やマインドフルネスをはじめてみたいけれど、わからないという方におすすめです!
まだ読んでいない方はよろしくお願います↓
今回はもう一歩踏み込んだ、瞑想する際の精神状態や心構えみたいなものを紹介していきたいと思います。
今までは瞑想のハード面の説明をしてきましたが、今回は瞑想のソフト面、中身に焦点を当てた説明になります。
瞑想を長く続けていくためのアドバイスにもなります!
ここがかなり大事だし、他の瞑想とは違う、私なりの瞑想のやり方の核心部分だと思います。
【戦略編】瞑想とは心のコントロールをすること
「瞑想とは無意識にならなければいけない」と思っている方が多いと思います。
瞑想にも色々種類があると思いますが、わたし版の瞑想は「心のコントロール」に重きを置いています。
心がどこにあるかと言われたら難しい問題ですが、言い換えれば「脳トレ」のようなものだと思うんですね。
ですから「無」になることを目的としていません。
①呼吸に意識を向ける → ②雑念が浮かぶ → ③軌道修正して呼吸に意識を向け直す
この結果として、副産物として、「無」になれると私は思います。
最も大事なのは、③の軌道修正することなんですね。
「無」になれなくても、①②③のプロセスを行うことで、「精神のストレッチ」や「脳トレ」はできていますので、もう目的は達成していると言っても問題ないんですね。
なので、あまり難しく考えることなく、瞑想に取り組んで欲しいと私は思うんですね。
もちろん無我の境地に達することができれば、それが一番いいですけどね。
【しましまの瞑想編】瞑想は瞑想でしかない
瞑想をはじめた頃は全く上手くいきませんでしたが、「ま、こんなもんか」と気楽な気持ちで続けていくうちに、段々と頭がスッキリするようになったり、心の整理がつくようにもなりました。
執着が消えたようにも感じます。
今も習慣的に瞑想を続けていますが、一時期上手くいかない時がありまして、、、。
言葉ではどう伝えたらいいのかわからないのですが、何でもできるような全能感や表しようもない幸福感と快感を感じた時が一度だけありまして、それを毎回求めてしまって、瞑想をすればするほど、逆にイラついてしまう状況に陥りました。
ここで私が得た教訓と言うのは、「瞑想自体には、何も求めてはいけないんだ」と言うことです。
何か勘違いを起こしていて、「瞑想をすれば今より幸福感が増して、スーパーマンにでもなったかのように行動できる」と、自分の中で誇大妄想が過ぎていたんですね。
身体のストレッチだって、それだけで劇的に肩凝りが消えたり筋肉がついたりはしないですよね。
それと同じで、大きな変化を得られると思ってやると、「なかなか続かない」と言うことになり得ます。
「だったらやらなくもいいじゃないか」という論法になりそうですが、瞑想というのはジリジリと、けれど確かに、メンタルにいい影響を与えてくれます。
瞑想を習慣的に続けていくうちに、ここぞというときの心の弾力や冷静さ、懐の余裕を感じる時があると思います。
私の失敗談を話させてもらいましたが、何を伝えたいかと申しますと、「瞑想とは、心のストレッチで脳トレなんだ」と。
それ以上でも以下でもない。(あっさり締める)
そう思うと何だかハードルが下がって、簡単に瞑想に取り組めると思いませんか?
【総括】
心の問題で悩んでいる人は多いと思います。
仕事もスポーツ競技も人間関係も、精神的なメンタルの問題は必ず付き纏います。
私は常々、まず見直すべきは対自分だと思っているんですね。
スポーツなんかもそうで、対戦相手の分析や弱点を突くことは大事ですが、まずは自分の能力向上の方が最優先ですよね。
対相手の前に、瞑想で自分の精神をコントロールできるようになった方が、物事がうまくいくような気がしませんか。
何より、自分の身体の一部の癖に、勝手に雑念を湧き上がらせたり、それに混乱させられるのは嫌じゃないですか?笑
精神やメンタルも、人間の臓器のうちの一つと同じだとするならば、私のコントロール下にいて欲しいですよね(身体の独裁者笑)
そのためのトレーニングとしての「瞑想」を皆さんにもやって欲しいと、私は思います!
それでは!
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